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土佐派の別家を繁栄へと導いた絵師『土佐光貞』とは

土佐 光貞

とさ みつさだ

土佐光貞の肖像画

元文3年7月9日(1738年8月23日)生まれ。日本の江戸時代中期から後期に活躍した土佐派(別家)の創設者。土佐光芳の次男で、兄は土佐光淳。

田中訥言に絵の指導をする。

土佐派とは

土佐派は、いわゆる日本的な画風、大和絵の表現技法を確率し、室町時代のおよそ200年の長きにわたって朝廷のご用達の絵師として任命され、歴史と力のある流派です。

繊細で丁寧な作風が土佐派の描く絵の特徴とも言える。土佐派は朝廷ご用達の絵師ということもあり、浮世絵に対し消極的ではあったが、浮世絵師にとって土佐派が描く日本の伝統的な芸術表現をする着想は、浮世絵を正統たらしめる大義でもありました。

本家と別家

光貞は土佐派における別家に属しておりました。土佐光芳の子として。別家を創設した光貞はのちに従六位上から従四位上に昇叙し、内匠大属、左近衛将監、土佐守等を歴任する事になります。

絵師としての才能は兄である土佐光淳よりも優れており、またそれが評価されたことで後半、土佐家は本家より光貞の属する分家の方が繁栄するようになりました。

土佐光貞のプロフィール

読み方 とさ みつさだ
出身地 愛知県名古屋市
年代 江戸時代中期から後期
生年 1738年8月23日
没年 1806年3月23日
墓所 知恩寺(京都市左京区)
代表作と保管場所
  • 若竹鶺鴒図屏風

    富士二鷹三茄子図屏風

    [満願寺]

  • 浜松図

    [西本願寺晟章殿]

  • 伊達政宗像

    [東福寺塔頭霊源院]

別名・呼称 廷蘭。従四位下。左近衛将監、土佐守。

土佐光貞の落款印・サイン

土佐光貞が作品に使用したサインの一覧です

土佐光貞の落款印

落款:土佐光貞

土佐光貞に関係のある絵師・作家

土佐光貞とゆかりのある人物の一覧です

田中訥言の肖像画

田中訥言

たなか とつげん
関係性:絵の指導をした
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