大和絵の復古に大きく貢献した絵師『田中 訥言』とは
田中 訥言
たなか とつげん
明和4年(1767),江戸後期に名古屋または京都に生まれたと言われている。幼少時は比叡山延暦寺で天台宗を学び、その後土佐光貞に入門する。古典の模写に励み四十代半から名古屋、京都を拠点として活動する。
大和絵の復古を目指していた
訥言は古くからある習慣・風習・文化などに深く興味があり研究を重ねており、佐竹本三十六歌仙絵巻、伴大納言絵詞等の複数の模写を残すなど、土佐派と呼ばれる派閥に所属しながらも平安時代の大和絵の復古を実現させました。
その功績から、訥言は『復古大和絵の祖』として呼び親しまれました。
晩年は目の病に苦しみ、、
文政6年(1823年)、訥言は視力の低下に悩みそのことが原因で57歳の時に自ら命を絶ったと言われています。絵師としてその才能を早くから開花させ、300点以上の作品を生み出した訥言にとって、最も大切な目を失うことは何よりも恐ろしかった事でしょう。
今は京都市東山区にある日體寺内の墓地にて眠ります。
田中 訥言のプロフィール
読み方 | たなかとつげん |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
年代 | 江戸時代後期 |
代表作と保管場所 | |
別名・呼称 | 痴翁、得中、過不及子、晦存、求明 |
田中 訥言の落款印・サイン
田中 訥言が作品に使用したサインの一覧です
落款:訥言
落款:痴翁
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