名古屋四条派の祖となった絵師『野村玉渓』
野村玉渓
のむら ぎょっけい
天明5年生まれ。通称は参吾。幼い頃から画を好み、文化4年に京都に出て呉春(松村月渓)の画僕をしながら画を学んだ。
5年後に帰郷して画を業とし、多くの門人を養成して「名古屋四條派の祖」と称された。
田中訥言、小島老鉄、秦鼎、植松茂岳らと親しく交わり、俳諧も巧みだった。安政4年3月20日(西暦1857年)、73歳でこの世を去る。
四条派とは?
かの有名な巨匠『円山応挙』の門下生である松村月渓は、応挙の画風の特徴とも言える写実主義と自身の持つ文学的な暖かい感性を融合させることを試みました。
その結果『四条派』と呼ばれる新しい流派を生み出すことに成功し、後の近代日本画界の発展。竹内栖鳳、西山翠嶂など多くの京都の作家たちを育む事になりました。
ちなみに、この四条とは松村月渓とその弟子たちが住んでいた京都の地名から付けられたものです。
四条派とは、簡単にまとめると、18世紀から19世紀に変わるときに生まれた写実画風に、人間的な温か味を付け加えた新しい流派です。
野村玉渓と名古屋四条派の関係
名古屋に四条派の流れが到来するのは、主に織田共樵、織田杏斎の親子の存在の他に松村景文、野村玉渓、佐々木月岱等の作家が大きく影響しました。
中でも、野村玉渓は最も大きくその発展に貢献したとされ、弟子の奥村石蘭を中心に鷲見春岳、若林素文、小寺雲洞、加藤英舟、服部石仙、三浦石斎、小林松僊に教え巣立たせ「名古屋四条派の祖」とも言われています。
野村玉渓のプロフィール
読み方 | のむら ぎょっけい |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
年代 | 1847年生まれ |
代表作と保管場所 |
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別名・呼称 | 参吾 |
野村玉渓の落款印・サイン
野村玉渓が作品に使用したサインの一覧です
落款:玉渓
落款:玉渓
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